
初めまして!セールスライターの宮城奈津子と申します。
このページでは、私の自己紹介をざっくりですがお届けします。
なぜ、超がつくほどの平凡な私が、ここまでこれたのかを赤裸々に語っております。笑
この、私の赤裸裸な過去があなたの背中を押すきっかけになれば幸いです。
ぜひ、最後まで読んで下さい。
若干6歳にして感じた人生の壁
1984年生まれ。小さい頃は大人しい性格。
引っ込み思案でシャイな性格から、友人も少なく、高額な私立の幼稚園は3日で退園するなど、親の期待をことごとく裏切った幼少期。
幼稚園の頃から集団に馴染めず、教室で一人ぼっちであることを先生に悟られまいと、園内を歩き回ることで「何か作業をしている風」にみせかけ、散歩で時間を潰す。(教室でポツンといると、先生が気をきかせて集団に入れようとする。これが嫌で廊下を散歩する術を身につけた。)
この様に、わずか6歳児にして人生に悩む。笑
でも家ではわがままし放題で、ひょうきんで、いつも家族を笑わせていた。
心許せる人は、親、姉妹、いとこしかいなかった。
いま思っても変な性格をしていたと客観的に思う。笑
漫画に没頭した小学生時代
そんな根暗な私は、小学校では漫画に没頭する。
漫画と言っても読むほうではない、なんと描くほうだった。
謎のキャラクター「ミーバー星人」という漫画を初めて自主制作する。なんと30巻くらいまでノートを使った。
それをオタッキーな漫画クラブの似通った人種に見てもらい、評価をもらうことで自己満をする毎日。誰がどう見ても変な人だった。
忘れもしない小学校5年生での授業参観。。。親子で懇談会的な雰囲気の中、ひとりひとりの親が、自分の子供について語る時間。
普通の子供ならワクワクしている場面、だが私にとっては苦痛でしかなかった。
なぜなら、母はこんな日に限って大遅刻をしてきたのだ。※まじありえへんと思った。
そして、遅刻して席についた時、先生が「家ではどんな子か?」と尋ねる。
遅刻した母は笑いながら言った。
「いや〜とにかく変な子です〜!笑」
・・・もう帰りたかった。あがり症でシャイな私にとって、苦痛でしかなかった。笑
初めて集団に入った中学時代
しかし、中学校になり「何か部活をしたい!」と生まれて初めて、自ら集団に入り込もうと試みる。
というか、小学校では「中学生になったらみんな部活をやるもんだ」風の空気感があった。だから部活なに入る?が卒業前の会話だった。
そこで特に小学校でなにもやってこなかった私の入学当初。もちろん、やりたい部活などなかった。(むしろいち早く帰りたかった。)
しかし、部活に入る空気感は確かにあって。姉の影響もあり、しぶしぶ「吹奏楽部」に入部しようと考えていた。
だが、姉の猛反対により、なぜか正反対とも言える「バスケットボール部」に入部。(確か小学校の体育の時間に、バスケ部の子にスカウトされたいた。運動神経は抜群に良かったから。)
しかし、これが功を奏した。
中学校にして、初めてスポーツを通じて仲間作りを体験したのだ。
そこから180度性格が変貌し、部活や学校でもリーダー格に踊り出る。
この時点で、人前に出ることに対して抵抗がなくなっていた。
むしろ「出たい!」とした考えていなかった。
人前に出ることが楽しくなった
高校に進学すると、その流れをさらにエスカレートさせる。
こんなことは言いたくないがちょっと人気があった。笑
クラスの人気者になり、学園祭や文化祭などでは、舞台の中心で歌い踊るスーパーパフォーマーに成長した。
幼少期からは考えきれないくらい、人前に出ることが好きで楽しかった。
それは大学を卒業するまで続き、当時ノリで出場した、地域のカラオケ大会で決勝戦まで上り詰める。ぶっちゃけ歌はうまかった。
そこでたまたま審査員として来ていたavexのプロデューサーにスカウトされるのだが、「応募時に全身写真を撮るなら嫌だ」と翌日お断りのメールを送る。もしかしたら倖田來未とならんで出れたかもしれないのに。←
でもまぁ、そんな自分も好きだった。笑
ネクラに逆戻りした社会人時代
社会人になってからは、大学のようにはいかない現実を目の当たりにする。まさに「井の中の蛙」を実感。ここでまた180度性格が変貌。一気に落ちる。
幼少期の大人しい、引っ込み思案でネクラな性格に逆戻り。(さすがに漫画は描かなかったが)
そんな中、ある運命の人と出会い、彼の人生設計にめちゃくちゃ圧倒される。
頭をハンマーで殴られたくらいの衝撃。それと同時に、自分の考えの甘さを痛感。
その運命の人に必死で食らいつくべく、一緒に会社を立ち上げる。
もちろん、その運命の人とは、今の旦那である。
失敗し続けた起業当初
起業当初、何もわからない中、とにかく生計を立てようと必死になる。
営業、事務、現場、すべての業務をとにかくこなす。しかし、ことごとくうまく行かない。
正直、何をどうしたらいいのかさえ分からなかった。
そこで、悩みに悩んで、辿り着いたものがあった。それがマーケティングだった。
このマーケティングと出会いが、後に会社の経営が大きく変化するターニングポイントとなる。
マーケティングを学び始めた旦那との差
それまでは、経営はすべて旦那に依存していた。その頃は私は子供もいた為、現場に出る機会が減っていた。
思い返せばその時くらいに、先にマーケティングを学び進めて、イキイキした旦那を横目で見て、意味不明の孤独感が襲った。
今まで一緒に歩んできた人が、とても遠くに感じていた・・・
きっと、「自分が何もできない感、、、」が嫌でしょうがなかった。
旦那が嬉しそうに話すことも正直、よくわからなかった。
たまに、子供のせいにさえしていた。ほんと最低だった。そのくらい、精神的にも余裕はなかった。
そんな日に、私は初めて「メニエル症候群」と診断された。ストレスでめまいが突如起こる病気だ。
朝起きてめまいがする。椅子に座ろうとすると天井が回る。ずっと回るもんだから気持ち悪くて吐く。それが数ヶ月続いた。
しかし、こんな状態になっても、私は変わろうとしなかった。しょうがないと自分に蓋をしていた。
今まで、必死にくらいついてきたのに、子育てを言い訳にして「どうせ自分なんて」と自ら学ぶ姿勢をとらなかった。
勉強をしないのだから、当たり前。
旦那との知識差、現場との距離は開く一方だった。
コピーライティングとの出会い
そんな私を見かねた旦那が、私に勧めてきたのが「コピーライティング」だった。
アメリカのとあるコピーライターの本を薦められるがままに読んで、そこで初めて、自分の没頭できる分野に出会えた気がした。
一言で言うと、衝撃だった。
心の底から、「なるほど!だから売れなかったんだ!」ということに気がつけた。
目の前が開けた感じってコレか!と思った。
そう、商品が売れないのは、商品の「伝え方」が悪かったのだ。
その日からのめり込むようにして、コピーライターとしての勉強を始めた。
なぜならば、コピーライターとは、「伝え方」を学ぶものだったから。
「伝え方」を学べば商売が有利になる。
そう確信していたからだ。
そこからはまた人生が180度変わる経験をする・・。
自分が営業しなくても営業してくれる
コピーライターとして、人間の心理や根本にある欲求、感情、行動心理に没頭し、
それを元に、ウェブサイトでコピーを書き、チラシやFAXを使って、
「自分が営業しなくとも、コピーが営業してくれる」ことに気がつく。
そして何より、実際に学んだことを試してみた。すると、驚くほど反応が違った。
あの時、「だから売れなかったんだ!」という意味が、本当だったんだと実証することができた瞬間だった。
これまで、必死で営業をして、断られ、迷惑がられ、時には怒られていたセールス活動。
だけどコピーを学んだおかげで、「歓迎」され「感謝」されるようになった。
そして独立へ
そこからは、本当に目まぐるしく時が過ぎていった。
旦那も会社を2社経営し、私は会社のマーケティング、セールス、コピーライティングすべてを任されるまでになった。
何より、自社の営業で困ることがなくなった。
コピーライティングのおかげで、自分が営業しなくとも、コピーに24時間、人件費もかからずに働かせる方法を知ったから。
それからは自社にとどまらず、セールスライターとして高く評価され、多くの企業から声がかかる。個人・法人問わず、多くのサイトのコピーを書いてきた。
また、コンテンツメディアとして、企業の商品を売る為の文章を必死で書きまくった。
その成果が対価として支払われる。その時初めて、「自分はセールスコピーライターとして独立できる」そう確信した。
お手伝い感覚からの脱却
今までは、旦那の経営の「お手伝い」感覚でいた。しかし、今は違う。
自分で稼ぐ力、スキルを身につけたおかげで、これほどまでに人生が大きく変化するとは思ってもいなかった。
先ほど紹介したとおり、私は一流の大学を出たわけでもないし、特別何か秀でたものがあったわけでもない。
インターネットの知識なんてゼロだったし、文章なんて書いたこともなかった。※漫画はあるけど・・・
しかし、コピーライティングと出会ったことで、自分で自分の人生をコントロールすることができるようになったのは事実。
もう、本当にハマった。成果が出るから、ハマるんだと本当に感じる。
あなたもきっと、腑に落ちる
もし、あなたが同じように、自分で稼ぐスキル、お金をいただくためのスキルが欲しいと感じるのなら。
ぜひ、この「コピーライティング」を学んで欲しいと思う。
商売をしている人なら、今すぐ売り上げに貢献できるし、これから独立したいと思う人は、すぐに学ぶことから始めたらいい。
私と同じように、経営者の妻なら、きっとご主人の大きな支えになるだろうし、副業をしたい人でもすぐに始めることができる。
働く時間も自分でコントロールすればいいだけだし、忙しくなりそうなら営業しなけりゃいい。
キャンセル待ちにさせて、時間が空いた時に連絡をするだけだ。
人生が変わるきっかけは些細な事の連続
なんどもいうが、私はこれまでに何度も人生が180度変わる瞬間を体験した。
しかし、そのきっかけは本当に些細なこと。
だから、このサイトに辿り着いたあなたは、きっと。
その人生を変えるターニングポイントだから、読み進めているのだと思う。
学ぶことに遅い、早いは関係ない。
行動する!と自分で決めることが、何よりも大事だから。